−NREについての誤解を検証してみる−


Last Update >> 2003.7.28

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【NREについて】

 日本レストランエンタプライズ(NRE)の悪口を時々聞く。
 JR東日本グループの会社で、東京、上野などの乗降客数の多い駅をはじめ、仙台、秋田などの地方でも弁当を売っているし、JR東日本管内での車内販売も一手に引き受ける。
 だから他の業者を押しのけたり、吸収合併したりしている、という風に受け止めている人がいるようだけれど、それはガリバーの宿命で、ほとんどの場合は誤解と濡れ衣であることが多い。

 駅弁趣味の話をしていて、この種の誤解があると楽しい話ができなくて、個人的にそのことに辟易しているので、この誤解について、少し説明してみようと思う。

 まずNREの生い立ちは、1938年にまで遡る。
 それまで食堂車の営業を行っていた6社と鉄道省の協議によって、全国一元の組織としてサービスを平準化・向上すべく、日本食堂株式会社が誕生。この年は国家総動員法が発令された年なので、政府の意向も働いたものと考えられている。
 6社の持っていた資産を全て引き継ぐという形で、食堂車営業の他、旅客サービスとして駅の構内食堂、弁当、ホテルまで経営するという方針が取られたから、今のNREの業態がそっくりそのままあてはまる。
 戦後、鉄道省が日本国有鉄道に変わってからも日本食堂はそのままの業態を続けたものの、駅弁は今と同じように各地の業者がそれぞれ手がけ、食堂車には帝国ホテルなど他の業者の参入を見ている。
 1987年、国鉄が分割・民営化され、現在のJRグループが誕生。それを追うようにして日本食堂も、各地域に密着してサービスを進めていくとの結論から、国鉄を追うようにして分社化。九州、北海道、西日本、東海がそれぞれ独立し、「日本食堂」の名は東日本エリアを担当する会社が引き継ぐことになった。
 現在の日本レストランエンタプライズへの社名変更は1998年。

 わざわざ沿革をなぞってみたのには理由がある。
 では、ここから、誤解を一つ一つ解いていこう。


【大駅独占?】

 まず、東京、上野などの大きな駅を「独占している」と見られていることに関して。

 独占に関しては、パーフェクトに誤解。実際に東京駅のコンコースを眺めてみれば分かるけれど、東日本キヨスクの「膳まい」が銀座ハゲ天や常盤軒、崎陽軒の弁当を売り、マコトが直営店を出しているなど、改札内にも他の業者がいっぱい入っていて、間違っても独占と言える状況にはない。これは他の駅に関しても似たり寄ったり。
 時刻表の欄外だけを見ているとNREだけのように見えるけれど、これは旧日本食堂時代から掲載が続いていたという経緯からと思われる。
 少し昔に関しては、独占しているというより、他になり手がいなかったというのが実情といわれている。
 特に東京駅など、国鉄分割後の1987年まで立ち食いそばすら無かった(しかも一号店は新幹線ホームにJR東海の関連会社が出した直営店舗だった)という駅で、どういうわけか参入業者がいなかったらしく、食堂車営業をやっていた時代の帝国ホテルが弁当を売っていた程度。

 仙台、盛岡、秋田などに参入しているのは、かつて食堂車営業や食堂を手がけていたことの名残で、それらの地域に拠点を持っていたことが強く影響している。要するに「元々そこにいた」のだ。
 特に仙台営業所は東北本線特急の食堂車を手がけていた実績から「北斗星」の運転開始にあたって食堂車担当に抜擢された経緯があるものの、駅弁の販売が始まったのはごく最近の話で、それまでは(少なくとも僕が確認できる限り1997年時点までは)車内販売用の弁当くらいしか作っていなかった。
 仙台はご存じの通り、伯養軒・こばやしの二強がひしめき合う駅。NREの弁当販売箇所はごく僅かで、ほとんど間借りに近い。これから増えるかもしれないけれども、他の業者を押しのけてまで、という形は取っていない。
 もちろんNREだって生き残りには懸命のわけだから、売れると思えば参入もする。そのことを責めるのはお門違いとしか言いようがない。


【他の業者を追い出す??】

 他の業者を吸収したり押しのけたり、という話も聞く。
 立ち食いそば関連で、首都圏で「あじさい茶屋」が猛然と増えた時期があったことは事実。ただそれが、押しのけたり吸収したりという形を取ったものかどうかは不明としか言いようがない。
 具体的には1997〜2000年頃がその時期にあたるものの、この時期はJR東日本自体が関連会社再編の真っ最中で、その動きの渦中にあったわけだから、NREというよりJR東日本の意向と考えた方が妥当と見られる。
 ちなみに、「あじさい茶屋」に交替した業者のうち、たとえば「喜多(旧)」は、もともと国鉄東京北鉄道管理局直営だった業者で(だから屋号が「東京北」の「キタ」)、このあたりは純粋に、関連会社再編によるものと見られる。
 ちなみに今はその動きは見られない。JR東日本の社長も交替していて、グループ全体に、方針も変わったように見受けられる。

 最近、駅弁の業者が変わった駅の例としては、甲府駅がある。
 かつて弁当を売っていたのは日食甲陽軒。日食というだけに、NREと同系列の会社のわけだけれど、この会社が解散した後の甲府駅には、NREも参入しているものの、一緒に小淵沢・茅野駅から丸政も参入している。独占の意志は無いことが分かる。

 そもそも駅弁それ自体が斜陽の時代と言われていて、業者が撤退してしまうこともしばしば起こっている。そんな時、JR自身は駅弁を売りたいのに新たな参入業者が無い……となると、各地に拠点を持っていて体力もある関連会社のNREに白羽の矢が立つというのは、ごく自然な流れということになる。
 最近の例では古川駅で、小牛田ホテルの撤退後しばらく駅弁が無かったものの、乗客からの「米どころなのに駅弁が無いのは何故?」という声にこたえてJR東日本仙台支社から駅弁開発の打診が行き、数年のブランクの後にNREの参入となった。


【他の業者を吸収???】

 よく誤解されているのが「NRE万葉軒」「NRE伯養軒」といった屋号の販売店で、これを以て吸収合併と勘違いしている人が時々いるけれども、これらは、たとえばNRE万葉軒ならNREと万葉軒が合同で設立した売店会社で、別に万葉軒が吸収されたわけではなく、製造会社として変わらず独立独歩で存在している。
 自動車の製造メーカーと販売ディーラーの関係を思い出してもらえればいい。

 NREの意向がどこまで働いたかは推測するしかないけれど、ただ一つ確実に言えるのは、この売店会社ができたことで、駅弁の販売拠点が増えたこと。特に伯養軒の販売拠点数の増加は目を見張る。
 そう考えると、駅弁製造会社が拡販のためにNREと手を組んだという、逆の一面が見えてくる。こうも同時期に販売会社ができたということは、おそらく提案はNRE側から行われたと推測されるけれど、両者にメリットがあるから、そういう形を取っていると見られる。


【ガリバーだから。】

 一つ一つ解説してきたけれど、もっと根元的な話として、JR東日本管内の車内販売をNREがやっていて、そこで、他社の弁当もちゃんと売っているという事実が厳然と存在する。またNRE自身が、冬季になると赤羽や船橋の駅で駅弁大会を行うけれど、そこには東日本管内の駅弁が可能な限り勢揃いする。
 乗っ取り、嫌がらせ、といったことをするくらいなら、そもそもこんな風に他社の駅弁を売ろうとはしないだろう。
 その駅弁大会にはNREの駅弁ももちろん混じって並んでいるけれど、扱いに特に差は無い。もちろん車販にしても駅弁大会にしても、販売手数料くらいは取っているのだろうけれど。

 ガリバーはその大きさ故に誤解を受けやすい。たったそれだけの話だということは、ご理解いただけたのではないかなぁと思う。一人の駅弁ファンとして、駅弁業者が誤解を受けたりしているのは、率直に言って悲しい。だから長々と、一つ一つ解説してみた。

 最近は話題性のある弁当をよく繰り出してきていて、元気があるのは頼もしい。
 しかし、ただでさえ誤解を受けやすい立場で、また東日本管内で最も目立つ存在であるだけに、間違った舵取りはしないでほしいと心からそう思うし、僕自身も個人的に、現状のNREに問題なしとは思わない。

 多くの人が指摘する工場製品っぽさは規模の大きさや販売量から言って仕方ないとして(それもガリバーゆえの個性だと思うし、趣味としてはそれも楽しむべき点と認識している)、たとえば大宮駅専用商品として開発した弁当を他の駅で普通に売ってしまうといった点などは、駅弁に対する信頼を損ねる行為だと思うし、大宮駅やその利用者に対して失礼な行為でもあると思って見ている。
 駅弁は駅あって初めて存在しうるもの。各駅共通で売るべく作った定番商品はともかく、特定の駅で売ると定めた名物駅弁を、ぞんざいに扱ってほしくない。
 会社がいくら大きくなろうとも、弁当売店をのぞく乗客の目線というのは変わらない。そのことを忘れないでもらえたらと、ただそれを願うばかり。


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