−駅弁趣味のちょっとした話−


Last Update >> 2003.7.28

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【一番なんて存在しない】

 これは駅弁に限った話ではないけれど、「一番うまい駅弁」などというものは存在しない。少なくとも、個人個人それぞれの中にしか存在しえない。

 最高級の松阪牛のステーキ肉を用意したとしよう。
 レアが好きな人にウェルダンで出してしまえば、「うまい」とは言わないだろう。そもそも肉類は苦手という人に勧めたって、芳しい評価は得られるわけがない。
 その肉を、牛肉好きの人に、好みの焼き方、好みのソースで出したとしよう。
 その場所が、トイレの横で、その臭いが漏れているようだったら、どうか。うまいと感じたとしても、後日そのことを語ろうとはしないだろう。
 逆に、なんてことはないごま塩のおにぎりも、よく晴れた日に列車に揺られて富士山でも眺めながら食べたら、なんでこんなものがこんなにうまいんだ、と感じるだろうと思う。

 また駅弁の場合、ご当地ものを食べたら、そのことだけでも相当の満足感が得られる。
 福井で海や市場に行く時間が無くても、福井の駅で弁当を買ってカニをたっぷり食べたら、それは「福井に行った」という気分になるし、ほとんどの場合は満足感につながるはず。
 それは「旅の満足感」と連動している。駅弁の場合、この点はとても重要だ。
 味というのはそういうもので、嗜好の他に、環境や気分といったものが大きく影響する。

 誰かにとっての評価がそのまま自分にはあてはまらないし、逆もそのまま言える。だから僕は、少なくとも不特定多数に向けては、「うまい」「まずい」という書き方はしないことにしている。

 少なくとも絶対的価値観としての「うまい」「まずい」は存在しない。誰かに同意を求められる性質のことではないし、人と意見が違っても、胸を張っていていい部分だ。
 もちろん、他人の意見に同意できる必要などさらさらない。悪食だと言うなら言わせておけばいいし、逆にこんなものに追従してくる人がいるようなら、その人間関係には逆に注意を要する。
 インターネット上の掲示板など、不特定多数の人が見ている場所で情報交換をする時には、ここのところに留意しておく必要があると思う。

 もちろん、気の知れた仲間内などで、「あの時食べたあれはウマかった」などという話をするのは、大いにいいことだと思う。それは、おいしかった記憶を、もっとおいしいものにしてくれる。楽しい旅の記憶を、もっと楽しいものにしてくれる。
 逆に「マズかった」などという話は、内心そう思っていても、積極的にはしない方がいい。自分の心を自分で荒ませても、得るものなど何もない。そんな悪口で盛り上がれる人間関係は、不幸な人間関係だと思う。蛇足かもしれないけれど、これは皆さんへのちょっとした老婆心。


【でも、「いい駅弁」なら存在する】

 では、駅弁の良し悪しに関する話は無意味なものかといえば、そうではない。
 「一般的にうまい駅弁」「一番の駅弁」は存在しなくても、「一般的にいい駅弁」や、「大多数に勧めやすい駅弁」は、これは確実に存在しうる。逆に、「人にお勧めし難い駅弁」というのも、当然ある。
 僕が普段、箸をつけながら見たり考えたりしていることを、少し書いてみる。

 まず最初に目につくのは、コンセプト。
 別項で述べた「可搬性、保存性、地域性」。場合によっては、このうち「地域性」は欠けていてもいい。
 最近は「地域性」のかわりに、たとえば「はやて弁当(東京・八戸など)」のように、「時代性」などのファクターが含まれてくる場合もある。
 BSEで大騒ぎになった頃、牛肉弁当で知られる米沢駅で豚肉の駅弁が売り出されたりしたこともあったけれど、これも「時代性」だ。よしあしではなく、社会性や趣味性の観点からの視点になってしまうけれど。

 駅弁である以上、駅弁の本質に則って作られたものが、勿論すぐれている。少なくとも駅弁を「必要とする」人に勧めても、恨まれる恐れは小さい。
 実際の問題として、駅弁の評価というのは、ここでほぼ定まってしまうのではないかと思う。よほど中身の調理技術などに問題がありでもすれば話は別だけれど、今やそんな駅弁、探し出す方が困難だ。

 幕の内なら中身のバランスで印象が決まってしまうし、イクラ弁当でイクラをケチられたら評価は辛くなるだろう。
 「××弁当」と名付けておきながら、その「××」との関連性を全く見いだせなければ、これは楽しくない。逆に、熱海や沼津あたりで買ったなんてことない幕の内の隅にわさび漬けを見つければ、「ああ静岡だ」と、なんとなくほっとすることがある。
 駅弁ファンによく知られる一戸駅の「ロースカツ弁当」は、カツもさることながら、付け合わせのレタスを見るたび嬉しくなる。弁当箱には何も書いていないけれど、岩手県二戸郡一戸町はレタスの名産地だ。
 こういうのは、人を連れて旅している時に、ちょっと蘊蓄話をして盛り上がる材料にもなる。それは話し方のよほど下手な人でない限り、旅の良い印象につながる。

 こだわる人は、たとえば幕の内の三種の神器なんてのにこだわることもある。魚、蒲鉾、卵焼きに、俵型ごはんという定型だ。僕も一応これはチェックするけれど、でも今は例えば「洋風幕の内」なんていう言葉が一般化しているご時世、これは絶対的評価の指針にはならないように思う。


【もっと細かく見ていくと】

 あえて他に見るべき点があるとしたら、僕の場合は他に、弁当箱を見る。

 強度の無い箱や形に無理がある箱は、どうしても気になって仕方がない。こんな大きな箱を列車内のテーブルに乗せるのは難しいぞと首を傾げることもあるし、あまりに角の鋭い箱に入った弁当をビニール袋に入れてもらったら、弁当箱の角でそのビニールが破けてしまって、大慌てになったこともある。
 二段重ねは豪華に見えるけれど、列車の中で開くのに難儀することがある。特急列車だと、座席についているテーブルの大きな車両が運転されている路線では評価が甘くなって、テーブルの小さな車両が多い路線では評価が辛くなるんじゃないかなと思う。これは路線の条件によって向き不向きが出てくる部分だと思う。

 箱の素材はご飯の水気を適当に吸ってくれる経木が一般的に良いとされているけれど、調製元によってはそれを調理技術で補ってくることがあって、プラ容器に入っていてもご飯がベタつかない水加減を心得ているところもあるから、経木が必ず良いとは、一概には言い切れない。伯養軒(仙台・青森など)はこれが非常に上手い。
 雰囲気の問題ならば、特に幕の内系では、経木は掛け値なしに嬉しい。逆に吉野家の持ち帰り容器みたいな弁当箱に入ってくると、第一印象はぱっとしない。

 次に、さっき少し触れた調理技術、あるいは心遣い。
 揚げ物の衣がベタッとしていて油が切れていなければ、誰だって点数は辛くなると思う。同じく揚げ物の衣が、隣の漬け物や煮物の汁を吸ってしまうのも困りもの。

 汁といえば、弁当箱を少し傾けただけでこぼれてしまうようだと、可搬性の点で物の役に立たない。よそ行きの一張羅を汚してしまったりしたら、勧めた僕まで恨まれかねないので、人には勧められない。
 実はこれは、時間がある程度経過した経木の箱で、底から漏れるという形で起こりがちなので、これも僕が「経木が良いとは必ずしも言い切れない」と思っている理由の一つ。

 中身に合った弁当箱、弁当箱に合った中身。これは大事なポイントだと思う。
 箱に入っていてこその弁当なのだから、箱は命だと思っている。

 もう一つ、「歴史」というものを見ることもあるけれど、これは全部の駅弁に適用できるものではないから、ここでは考えないことにしておこうと思う。
 弁当それ自体よりも、むしろ販売駅の分布を考える上で面白い話で、駅弁が売られている駅というのは、昔は機関車の付け替えで停車時間が長かっただとか、そういう事情がほの見えてくる。
 趣味の範囲の話に他ならないし、話の肴にできたらそれで上出来、という程度のことにすぎないけれど。


【全種類制覇なんて不可能】

 駅弁ファンとか駅弁マニアというと、いろんな種類の弁当をいっぱい食べた人なんていう風に思われるだろうけれども、全部食べた人なんてきっと存在しない。いや、存在しえない。
 どこの調製元も、日々新製品の開発に一生懸命頑張っていて、毎月のように新しい弁当が登場してくる。
 その中には、不幸にも人気を得られずすぐに消えてしまうものもあるし、改良に改良を重ねて、去年と今年で全然違うものに化けていることだってある。逆に、味が落ちてしまうもの、自分の好みからはずれてしまうものも出てくる。
 2003年に食べた記憶が、2010年にも通用するとは限らない。

 だから駅弁を趣味にするというのは、賽の河原の石積みのようなもので、いつまで経っても「終わり」など来ない。
 どこか一つの調製元の弁当を全種類食べ尽くすとか、各県1つずつ何か食べるとか、この趣味に目標を設定するなら、そんなところが妥当な線だと思う。それ以上は、これは研究者の領域だろうと思う。

 そのかわり、興味が尽きない限りは、半永久的に楽しんでいられるというメリットがある。
 まして「食」は、生きるために必要なものだから、誰だって興味がある。だから人と話す時の肴にもなってくれる。
 いやいや出かける用事の時も、出先で駅弁を買えることが、気持ちを軽くしてくれることがある。
 鉄道ファンの人や旅行ファンの人なら、その趣味と一体化した楽しい記憶になる。

 駅弁趣味って、それでいいんだと思う。

 かく言う僕は、色々あって今まであまり旅に出られなかったし、今もその状況はあまり変わっていないから、今までに食べたことがある駅弁というと、どうしても所用で行動する関東・東北エリアと、駅弁大会に出品される弁当に偏っている。
 今のところ、関東・東北エリアの全部の駅で、何か1品ずつ食べよう、というのを目標にしていて、興味の点では食文化全体の中での駅弁や、元々歴史ファンということもあって、その歴史や未来というものに強く惹かれている。


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