−駅弁って何?−


Last Update >> 2004.6.23

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 簡単に定義を述べるだけなら、僕なりの定義は、このサイトのトップに書いてある。要は「特定の駅を定めて、鉄道施設内で売られる弁当」。これ以上の定義や説明はいらないと思う。
 けれどここでは、もう少し深くつっこんで、駅弁がどういう食べ物であるのかを、少し考えてみようかなと思う。


【まずは弁当とは何なのか】

 駅弁以前の問題として、まず「弁当」というのは何かということに、少し触れてみたい。
 「弁当」で国語辞典を引くと、「外出先で食べるために持ち歩く食品」という風に書いてあることが多いけれど、実際には、これだけでは説明がつかない。
 ビスケットやキャンディをカバンに入れて持ち歩いているのを弁当とは言わないし、コッペパン1個やおにぎり1個を持ち歩いていても、やはり一般に、弁当とは見なされにくい。それはあくまで「パン」や「おにぎり」だと考えられる。
 ところが、おにぎり3個を箱の中にまとめたら、どうか。コッペパンにサラダをはさんで2個くらい並べて箱に入れたら、どうか。
 これはほとんどの人が「弁当だ」と見なすのではないか。

 また、カップラーメンを持って行き、出先でお湯を入れるというのも、一般には弁当とは言わない。出先で調理を必要とするものは、基本的には除外して考えた方が良い。

 形の上では、「箱にまとめられて、そのまま食べられる料理」を「弁当」と見なすのが、実態に近い。

 箱にまとまっていれば、持ち運ぶことができるようになる。
 その持ち運ぶ距離や時間は様々だ。和食屋で出される松花堂弁当は、厨房から客席までしか運ばれない。街のホカ弁は、販売後すぐに食べることを前提にしているから、温かいままで供される。

 持ち運ぶ距離や時間が長い弁当には、保存食としての性格が現れる。温かいものは放置しておけば冷たくなるし、どんな食べ物も時間が経てば腐敗が始まる。だから、それらへの対応の必要が出てくる。おにぎりの表面を焼く、おにぎりに梅干しを入れるといった腐敗防止のための知恵は、そういうところから生まれてきた。
 それが、それぞれの「弁当」の持つ、料理としての性格ということになる。

(2004.6.23加筆)
 ちなみに参考までに、厚生労働省が定める「弁当及びそうざいの衛生規範」においては、『弁当』はこのように定義されている。

『主食又は主食と副食を容器包装又は器具に詰め、そのままで摂食できるようにしたもの』

 そして例の中に、幕の内弁当等、釜飯、いなりずし、おにぎりなどが引かれ、「これに類する形態のものおよび駅弁、仕出し弁当等」となっている。
 厚生労働省の定義では、主食を含んでいるかどうかが弁当と総菜の分かれ目と扱っているのが分かる。この考え方は分かりやすい。


【弁当としての、駅弁の特徴】

 ここで駅弁に戻り、駅弁の売られる環境、弁当としての性格を考えてみる。

 列車の中というのは、食事には不便なところだ。かつては食堂車がたくさんの列車に連結されていたけれど、今はもう全滅に等しい。列車の中の供食設備は、事実上存在しないと見た方が実態として正しい。
 いや、食堂車が一般的につながっていた時代も、食堂の座席数など、列車の総定員から見たら微々たるもの。利用できる人は限られた。
 その中に、何時間も乗っていなければならない。列車に乗った時は午前10時でも、下車駅に着く前にお昼を迎えれば、下車まで食事を我慢するか、弁当を持ち込む必要が出てくる。
 また、車内販売で弁当を売るとしても、必ず食事時に積み込みが行えるわけではないし、車内販売終了や交替の時間まで売り続けなければならない。
 一日の食事は3回。そう考えると、少なくとも4時間から6時間くらいは持つものでなければならない、という必然性が出てくる。

 駅は列車よりは恵まれている。地上にあるから水道もガスも使えて、調理設備を持てる。今は駅舎や駅ビルにも評判の良いレストランは多数あるし、列車と対面するプラットホームにさえ、そば・うどん屋が多数存在する。
 けれど列車に乗る人は、そこに立ち寄る余裕が無いこともある。「時間のない人」へのニーズだ。
 また、駅の敷地に限りがあったり、食堂で採算が合わないとなれば、外で調理したものを運んできて売った方が良いというケースもある。これは「設備の制約」によるニーズ。
 こうした「食事のニーズ」への応え方は、駅によって様々だ。中には、通勤客が昼食用として買っていくような弁当を多数揃えている駅もある。

 これらの「必然性」の他に、鉄道ならではの、大切なファクターがある。
 鉄道は全国をネットする交通機関だから、弁当を必要とするほどの距離を列車に乗る人というのは、少なくとも行きか帰りの片道は、その地域の人ではない場合が多い。
 そこに観光の一環としての、地域特産品としての性質が要求されるようになる。地域の側では地域PRの一環として、その性格を押し出して拡販につなげたいということになる。
 特産品としての性格を持つと、ある程度の時間に耐えられる食品ということで、おみやげとしてのニーズが出てくる。だから中には、6時間どころか、もっと時間に耐えられる駅弁も存在する。
 全国各地の百貨店やスーパーで行われる「駅弁大会」は、この地域特産品としての性格と、保存食としての性格の、両方があって初めて成立するものだ。

 半日から数日程度の保存性と可搬性、これが必須条件。
 地元の人へ向けて売られるもの以外については、加えて地域性。
 駅弁の持つ性格は、この2つないし3つということになる。


【当世駅弁事情】

 ここまでに考察した基本をふまえて、今現在を俯瞰してみる。

 まず、駅弁それ自体は、じり貧の状態にあると考えられる。

 今は昔に較べて列車がどんどん速くなり、また長距離には航空機も多数飛ぶようになって、列車での移動時間が縮まってきている。列車の本数も増えて、乗客も時間をより自由にコントロールできるようになった。前述のように、駅にも評判の良いレストランは増えている。
 つまり列車内で食事をせねばならないというニーズそれ自体が減ってきている。

 弁当にしても、地域性を求めない人ならコンビニ弁当でいいという人もいるし、駅前にホカ弁があればそっちの方がいいという考え方もある。いまや駅の中にだってコンビニがある。
 またそれらは、価格が安いし、列車に乗ってすぐに開くことができるなら、温かいままを食べられる。
 同じく、列車に乗ってすぐに食べることができるなら、駅ビルやデパ地下で買える折り詰め弁当という選択肢も浮上してくる。これらは駅弁と同じくらいのお値段で、なかなか立派なものが買える。
 いまや弁当だけをとっても、駅弁のライバルは数多い。

 駅弁の多くは「冷めた状態でおいしくなるように」調製されているし、中には再加熱の可能な容器を開発して、それに詰められているものもある。
 それにお値段分くらいには質の良い食材を使っているけれど、そうしたことはあまり知られていないし、比較となるとどうしても不利になるのは否めない。
 それに人の自然な感情として、「温かいものの方がいい」という気持ちは、駅弁の好きな僕にだって分かる。

 だから、「必然性」のニーズはどんどん下がってきていて、駅弁業界は斜陽だと言われるようになって久しい。実際に撤退する業者が相次ぎ、駅弁販売のなくなった駅も多数ある。

 逆に、地域性の要請は年々大きくなってきている。

 情報化が進んで全国各地津々浦々に違う食べ物があることが広く知られるようになり、また地域ごとの「個性」というものが、(情報化によって薄まりながらというのは皮肉ながら)一般的に認められる時代になってきた。
 駅弁なら通過点の途中駅で買うこともでき、改札を出なくても土地の名物が楽しめる。大阪から福岡に行く人が瀬戸内のあなごを食べられるし、東京から長野に行く人が群馬の舞茸を食べられる。
 半日から一日くらいは持つ食べ物だから、おみやげにもなる。仙台に出張に出かけたお父さんが鮭はらこめしを買ってくるのを、東京で楽しみに待っている家族がいる。

 そして駅弁大会で販売される駅弁が、地域PRの役割を担うようになってきた。
 百貨店などのちょっとした物産展には必ずと言っていいほど駅弁の姿があるし、雑誌で駅弁の特集が組まれる時も、やはりこの「地域性」に目を向けた切り口が多い。
 とても有名な森駅の「いかめし」などは、駅での販売数はごく僅かで、そのほとんどが駅弁大会で売られている。森町がどこにあるかは知らなくても、北海道の森という駅に有名ないかめしがあることを知っている人は多い。北海道物産展と聞けばいかめしを連想する人だっているだろう。

 こちらの方面では、駅弁は実に元気がいい。
 保存性、可搬性、地域性という、駅弁の持つ性格を最大限に活用されているからだと、僕はそう考えている。
 きっと今後も、この性格、特に地域性を生かした発展を遂げていくのだろう。


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